若竹屋発 巨峰物語


田主丸は葡萄の品種・巨峰の産地としても知られています。

若竹屋酒造場と巨峰の間には、実は深い関係があるのです。
巨峰の生い立ちは、昭和初期にさかのぼります。当時、静岡の伊豆半島で葡萄の研究を進めていた大井上博士が、石原早生とオーストラリア産のセンテニアルをかけあわせ昭和19年に新しい葡萄を生み出しました。しかしこの葡萄は戦中戦後の混乱期や、学会での評価を得られなかったことで苦難の歴史を歩みます。

しかし昭和31年、大井上博士の弟子だった越智通重先生を田主丸に招聘することでこの葡萄の運命は変わったのです。
「おもしろか葡萄のあるげな、ひとつ皆でやってみらんかの」
そう田主丸の人々に語ったのは、若竹屋酒造場12代蔵元・林田博行でした。
博行は耳納山中にあった土地を提供し、そこに越智先生を所長とした九州理農研究所が設立されました。その結果、昭和32年より本格的な巨峰の栽培が始められたのでした。

当時、博行の呼びかけに応じた地元農家は47人、田主丸の四十七士と呼ばれましたが大きなリスクも背負った賭けでした。
「育て方もよくわからん葡萄ば、売りきるやろうか?」
ところが実を付けたそれは、甘味が強く果肉のぷりっとした弾力があり、ビワ程もある大きさに誰もが肝をつぶすほどに驚いたのでした。その大きさと味わいは類するものなく、耳納山麓で生まれたとの意味をかけ『巨峰』と名付けられたのです。
果実の大きさゆえに実が離れやすく輸送が難しかったことから、お客様に摘み取りにきて頂くという「巨峰狩り」という方法を編み出したのも田主丸が最初であり、今では全国の果実園で行われているという後日談がおまけについています。

 「巨峰が売れんかったら全部ウチが引き取るけん、安心せんね」
博行は生産農家に呼びかけ、田主丸の町おこしに情熱をかたむけたと同時に、
(こげな素晴らしか葡萄でワインを創れば、どんなものが出来るやろうか?)
と考えたと言います。

現在、12代蔵元・林田博行は91歳。当時を懐かしく振り返りながら、巨峰を口にしています。
13代蔵元・林田伝兵衛は、葛枢ワインを設立し年間3万本の巨峰ワインを生産するまでになりました。
田主丸を訪れる人々は、若竹屋で酒を試飲し、巨峰ワインでワインを飲み、紅乙女で焼酎を飲んで、とてもいい顔色をして帰りますね。一度遊びに来てみらんですか?


巨峰が産まれるきっかけを作ったのは、林田博行とヘスターという男との出逢いだった…
もうひとつの巨峰物語、「ヘスターさんがやってくる」は
こちらです。

▲TOPPAGE

copyright(C)1999
Hao Chang all rights reserved.
www.wakatakeya.com